紆余曲折ありまして
―はじめに、イラストレーターになったきっかけを教えてください。
上仲:最初はイラストレーターになるというより、デザインをしたかったので美大を目指していました。そもそも美大に入るきっかけが、高校の美術の授業が面白くて先生と仲良くなったことがきっかけです。
その時に車とか家電のビジュアルを考えるプロダクトデザインや、ポスターなどのグラフィックデザインに興味を持つようになり、画塾に通って美大を目指すようになりました。特に画塾の体験入塾がすごく面白くてハマりました。
初めはデザイン系を目指していたのですが、受験のストレスで精神病になってしまい入院するほど重かったんです。退院しても病気が完治していない上、薬の副作用などもありました。両親と画塾の先生と話し合って、受験も仕事もシビアなデザインではなくて、じっくりと制作に取り組める油絵を専攻する事にしました。
志望校も県外ではなく、自宅から通える京都嵯峨芸術大学芸術 学部造形学科 油画分野を目指すことになりました。
高校三年の頃は闘病中だったので、受験以前に高校も卒業できるか危なかったんです。
高校で留年すると弟と一緒のクラスになってしまうので(笑)
これはなんとしてでも卒業しなければならないと思って猛烈に勉強して、 画塾も受験も考えず卒業に絞って勉強していました。必死だったのであまり覚えてないのですが(笑)
高校は無事卒業できて闘病中でしたが画塾通い、一浪して大学に入って油絵を描いていました。
―学生時代に制作されたすごく大きいリアルな牛の絵を見せていただきました。
上仲:父が牛の獣医をしていたことと、通学途中に牛の牧場があったので、そこにスケッチに行くようになったのが牛を描き始めたキッカケです。「牛ってこんなに大きいのか!」と思うと同時に「お父さんはこんな動物を治療しているのか!」と感動しました。
大学の三回生から四回生の卒業まではずっと牛の絵を描いていました。周りからは牛ばかり描く変人だとおもわれていました。卒業して造園業や介護職もしたんですけど上手く行かなくて、家でイラストを描き始めました。油絵は家で描きにくかったので水彩やカラーインクでイラストを描くようになりました。
それをたまたま知り合いの後輩に見せたんです。そしたらすごく大絶賛してもらって、うれしくて舞い上がっちゃって(笑)「いいんだ、これ!」って思ったことがきっかけでイラストを描くようになりました。
どっぷりハマってどんどん描いていました。また違う友達が布雑貨の作家をやっていたので、その人に色々と仕事のアドバイスをもらいました。それで、アートフェアとかフリーマーケットとかに出店するようになって、そこからだんだん仕事に繋がっていきました。
―原画を描いて販売されていたのですか?
上仲:そうですね、原画を描いて販売していました。
そうこうしている内に、美山の風景を描いてポストカード作るなどの委託販売をするようになったんです。
美山はかなり古くて、2013か2014年くらいから道の駅などで置き始めてもらっています。
―美山の柔らかさとか素朴さが伝わってきます。
上仲:特にコロナ前って中国のお客様が多かったので結構爆買いしてもらっていました。納品のとき数えていても「あれ、数え間違いかな」っていうくらい売れたりとかしていて。美山のお土産物屋さんには、今も置いてもらっています。
自分自身を知る周囲の反応
―高校で美術の先生と仲が良かったということですが元々小さい頃から絵を描くのがお好きでしたか?
上仲:小さい頃から絵が好きだったので、小学校の頃は描いていたと思います。でも中高ではあんまり描かなくなくなりました。自分でも描いていなかったし、美術部にも入っていなかたので、中学の友達に美大行くって言っても「え、お前が?」みたいなそんな感じの反応でした。
ただ、小学生の頃は家でゲームをやらせてもらえない家庭で、弟と自由帳にポケモンを描いて戦わせたりしていました。そういうことはしていたので、少し絵を描いていたという感じです。
―それでは小さい頃からイラストレーターになりたい、絵描きになりたいなどの夢がある感じではなかったのですか?
上仲:そうですね、そういう感じではなかったですね。
―珍しいですね。だいたい皆さんそこを通ると思うのですが。
上仲:あんまり将来の夢を考えたことがなかったんです。漫画家になりたい気持ちは少しありましたけど、あんまり画家とか絵描きに憧れたことは無かったです。
―ほんとに描き出したのは、高校時代の美術の先生と出会ったときからですか?
上仲:そうですね。
ただ、子供の時覚えているのが祖父が絵を描くことが好きで、絵を教えてもらっていました。そのときに画用紙にいっぱいに大きい蟻の絵を描いたんです。
自分としては牙の形とか足の生え方を描きたかったから大きく描いたんですが、それを祖父がすごく褒めてくれたんです。「当時はただの蟻の絵なのに何で褒めてくれるんだろう」みたいに思っていました。今となっては、いい着眼点だったと思います。
あと小学校のときは、絵のコンクールの佳作とかは何回か獲っていました。なので多分そんな苦手ではなかったとは思います。人よりは得意な方だったと思います。